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平和な暮らしの中で
今、私はイギリス・ウェールズ地方のヘイ・オン・ワイという町に滞在しています。ここでは、毎年5月末から6月初旬にかけて、大規模な本のフェスティヴァルが開催されます。各種の本の展示や、著者、作家たちのレクチャーの他、期間中にはコンサートも数多く開かれます。私は、今年初めてこのフェスティヴァルに招かれ、3回のリサイタルを行ってバッハとイザイの無伴奏作品全曲を演奏しています。
有力な新聞社などがスポンサーになっているフェスティヴァルですが、実際の運営に当たるのはほとんどがこの町と周辺に住むボランティアたちです。運営には不手際も目立ち、私の場合、5月30日にロンドンから列車で到着したのですが、受け入れ側は私が29日に来るものと思い込んでいました。そのため、予定していた宿泊場所に入ることができず、別のピアニストご夫婦が滞在しているコテージの一部屋を借りて、暗澹たる気分で一夜を過ごすこととなりました。前の日に到着すると思っていた人間が来なくてもあまり心配していないのですから、おおらかというかルーズというか、日本とは一味違う対応ぶりに驚かされました。
また、コンサートの日取りも、私は5月31日、6月2日、6月4日と聞いていたのに、実際に来てみたら日にちが1日ずつ後にずれていました。いつ変更になったのかはわかりませんが、それを連絡してこないのですから驚いてしまいます。
しかし、そのような齟齬があっても、皆真剣に、しかも楽しそうに働いていて、中に入ってしまえばけっこう居心地が良いのですから不思議です。学校の敷地内に建てられた仮設のオフィスで忙しく事務処理に当たる人たち、私を含む参加者たちの送迎に始終車を走らせる人たち、皆このフェスティヴァルに携わることに誇りと喜びを感じ、生き生きと働いています。その雰囲気は、サイトウ・キネン・フェスティヴァルを温かく迎えてくれる松本市の様子にどこか似ている気がします。
ウェールズ地方は雨が多く、初夏の陽射しが照りつけて暖かくなったと思えば、翌日は雨模様の寒い日になるといった具合で、天候は安定しません。でも、「変化があっておもしろいよ」と、土地の人たちはあくまでも前向きです。今日は、牧畜を営む農家の経済状態が厳しいという話しを聞きましたが、そのような切羽詰まった様子は、訪問者である私たちにはあまり感じられません。
さて、私と妻が住むことになったコテージは、ヘイの町から5キロほど離れたグレイズバリーという村にあり、隣には広い母屋、それにとても広い庭があって、その先はイングランドとウェールズを隔てるワイ川の岸辺へと続いています。きれいな空気、かわいらしい小鳥たちの声、本当にのどかな田園暮らしです。人々は親切ですし、質素ではあっても不安や怯えのない平穏な暮らしを楽しんでいるように感じられます。
でも、テレビをつければコソボの紛争や、インドとパキスタンの争いなど、心の暗くなるような事件ばかりです。たくさんのアルバニア系住民に弾圧を加えるユーゴ政府も許せませんが、だからといって罪もないユーゴ人を恐怖に陥れるNATOの空爆も、私には納得が行きません。しかも、イギリスはその空爆を最も強く支持し、数万人の軍隊を送り込んでいるのです。一方にこの町のような平和な暮らしを享受している人たちがいるのに、一方で大勢の人間が同じ人間を殺すために働いている、こんな矛盾があって良いのだろうか、と考えこんでしまいます。
私がバッハやイザイの音楽に託すのは、平和へのメッセージです。それ以外何もできない私ですが、一人でも多くの人々の上に不安のない平和な暮らしが訪れるようにと願いつつ、演奏を続けます。
99年6月 和波たかよし
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