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サマーコースを終えて

 八ヶ岳南麓の山梨県大泉村、その静かな別荘地、泉郷にヴァイオリンやピアノの音が響き渡った1週間。今、30名近い参加者が去って、泉郷には再びもとの静けさが戻ってきました。毎日8・9人の生徒を教え、2回のコンサートを開き、夢中で働きつづけた私は、その静けさの中で、「今年も無事にコースが終わって良かった」という安堵感と、突然誰もいなくなってしまったような空虚な寂しさの、両方を味わっています。

  バッハやパガニーニの無伴奏曲、モーツァルトやベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスのピアノトリオ、モーツァルトの弦楽四重奏曲など、今年もレッスン場の山荘にはいろいろな曲が流れ、私はそれらの一つ一つにできるだけ適切なアドバイスを与えることに、ひたすら集中する日々を過ごしました。妻の土屋美寧子は、ピアノ付きの室内楽やヴァイオリンソナタの他、弦楽四重奏でも私と共に指導に当たり、楽器を越えた音楽そのものの意味を受講者たちに伝えるべく努力しました。

  また、初めての試みとして、コースに先立つ2日間には、「室内楽ピアニストを目指す人のための短期セミナー」を行いました。初日は土屋のレクチャーと私とのソナタ演奏、2日目は、まずピアニストだけにレッスンを行った後、午後から私が受講者と共演してソナタを弾き、土屋がレッスンをするという方法で、3名の受講者を指導しました。これは、ピアニストに室内楽を勉強することの大切さと楽しさを、もっと認識して欲しいという強い願いから実施したのですが、ヴァイオリニストの聴講者も2名あって、1回目としてはかなりの成功だったと思います。

  サマーコース本体のレッスンは、普段自宅などで教えるときと同じように、受講者が練習してきた曲を聴かせてもらって、音楽的、あるいは技術的なアドバイスを与えます。ただ、プライベート・レッスンと違うのは、誰でもこのレッスンを聴いてよいということです。これが「夏季講習」の最も意味のあるところだと思うのですが、レッスンを受ける人は、先生だけでなく同じ音楽を学んでいる何人かの聴衆の前で弾くという体験ができるわけです。一方、聴いている人たちにとっては、自分がレッスンを受けているときよりも冷静かつ客観的な立場で、私の解釈や考え方をより広く、より深く知ることができるというメリットがあるはずなのです。

  私は、受講者たちに「自分の練習もしなければならないだろうが、なるべく時間を作って聴講に来るように」と、繰り返し繰り返し話しています。最近は、そうした私の意図がかなり良く理解されるようになりましたが、それでもまだ、他人の演奏から学ぶことのできる貴重な機会を充分に活用していない人が少なくありません。今年も、1人の高校生が、同じ曲を弾く先輩のレッスンを聴きに来なかったので、「あなたにはこのコースの主旨が理解できていない」と強く注意しました。日ごろから人の演奏を聴く機会が少なく、そうした訓練もしていないので、「他人のレッスンから学んだり盗んだり」といったことの大切さがわからないのでしょう。でも、自分の練習ばかりに気持が行っていて、人の音楽に耳を傾ける余裕のない人は、結局のところ独断的で包容力にかける演奏をする、と私は考えています。単に楽器を弾くだけでなく、多角的な勉強を積むことが、音楽家への道なのです。

  受講者21名のうち9名までが、「日本音楽コンクール」と「学生音楽コンクール」の課題曲を弾き、これらのコンクールへの関心の高さを再認識させられました。今年参加した大学生たちは、コンクールを受ける心構えが良くできていると感じました。つまり、「良い成績を取るため」とか「人との競争に勝つため」ではなく、自分の力を試すため、あるいは自己表現の場としてコンクールをとらえているように思えたのです。勿論、人生には競争も大切ですし、コンクールを足がかりにソリストとしてのキャリアを作ろうと狙う人もいます。しかし、コンクールの結果はその日の本人の調子や、審査員の傾向などによって変わりますし、成績だけにこだわってコンクールを受けるのなら、ギャンブルと同じになってしまいます。コンクールの場で思い通りの表現ができるように、技術を磨き集中力を高める訓練をする、そうしたことが最も大切だと思います。同時に、コンクールでもただ自分が弾くだけではなく、なるべく時間を作って他の人の演奏を聴き、そこから学ぶことが将来のために有益です。これらのことを良くわかった上で、コンクールを受けるのなら、それは大きなプラスをもたらすでしょう。

  大学生にもなれば、そのような分別もつくのですが、中学生くらいだと運動会に出るようなつもりでコンクールを受ける人も少なくないようです。さらに、子供たち以上にお母さんたちが競争してしまって、子供をその競争の道具のように扱う傾向があるのは困ったことです。そういう次元での競争となると、「人よりも大きな音」とか、「人より速いテンポで」といった表面的な争いとなり、曲の本質に迫ろうとする姿勢が希薄になりがちです。勿論、それらのことも演奏の一要素ではありますが、私は、中学生のうちからその作品の時代様式や演奏語法を学び、そうしたことに注意を向けて弾くことが、芸術音楽を身に付けようとする人には重要だと考えます。今年コースに参加した中学生には、このような方向で指導を行いました。彼女たちがコンクールでどんな成績を収めるかはわかりませんが、実際のところそれはあまり大きな問題ではないのです。数年後、あるいは十数年後にどんな音楽家になっているかが重要なのです。

  最終日の前夜、1軒の貸し別荘で一緒に生活していた、大学生と社会人の5人の受講者が、わざわざ私の住まいまで訪ねてきて、「私たちはこのコースに参加してとても幸せな時を過ごしました。皆で先生のレッスンについて、また音楽について毎日のように語り合うことができて、大変有益でした」とお礼を言いに来てくれました。こんなことは、過去13回のコースの間には一度もなかったことです。「音楽の素晴らしさを感じ取って欲しい」と願う私の心がしっかりと受け止められていたことに、大きな喜びを味わった夜でした。

  また、私のアシスタントとして、クラス外で受講者や聴講者に適切な指導をしてくれた小川有紀子さん、伴奏ピアニストとしていつもクラスに常駐し、皆の演奏に合わせて素晴らしいピアノを弾いてくれた加納麻衣子さんを得たことも、今回の大きな収穫でした。こうしてサマーコースを側面から支えてくれる人が次第に増えてくると、「これからも頑張って続けなければ」と元気が出てきます。

  今、このまとめを書きながら、コースに参加した一人一人のことを思い出し、皆が挫折することなく勉強を続けて、幸福な音楽人生を歩んでくれることを願う私です。

99年8月 和波たかよし



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