4月24日 一人で移動できる喜び
時はどんどん過ぎていく。先週も、なんだか瞬く間に終わってしまった感じだ。
少し前の話になるが、11日に名古屋へ行った時は、普段美寧子に送ってもらう我が家から品川駅までの間も、すべて一人で移動した。彼女のソロリサイタルが近づいている上、私の出勤時間が早まって6時半に家を出なければならなかったので、「一人でやってみるから」と出かけたのだ。
これまでは、大井町から品川までの一駅が、行きもできないほど混雑する電車に乗らなければならないし、品川駅の通路も大勢が走っているので危険だから、と美寧子が送ってくれていたのだ。でも、1時間早くなると、まだラッシュが始まったばかりで、それほどひどい混雑ではなく、注意さえしていれば一人での移動はそれほど難しくなかった。時々駅員や乗客に手伝ってもらいながら、無事に新幹線に乗った時は、「やったぞ」と自分に向かって心の中で叫んだ。
目の見えない私にとっては、見える人がなんでもなく簡単にやってしまうことでも、それを達成するために多くの努力や工夫をしなければならないことがあるし、莫大なエネルギーを消費することもある。たとえば一人で移動する場合だが、誰かと一緒に歩いている時は、足を運ぶことだけに集中していればよく、心身はかなりリラックスしている。特に道を憶えなければならない必要もないし、会談なども、少し前を行くパートナーの体の動きにひたすら付いていけばよいだけなので、難しくはない。だが、一人で歩く時は、前後左右のあらゆる音に聞き耳を立て、危険がないか、ちゃんとまっすぐに歩いているか、などと神経をとがらせ、集中させて歩いている。盲人が駅のホームから転落する事故が絶えないが、こういう事故を起こす人のほとんどが、すでに一人歩きの経験を積んだ、いわばベテランたちなのである。ちょっとした気のゆるみ、集中力の低下が事故に繋がっている。
私が歩くところは、それほどの危険はないが、人的な危険は常に存在する。犯罪者が近くにいても、私はそれを察知して避けることができない。それでも、神経を集中していれば、近くにどんな人がいるかは、その人が発する息づかいや体を動かす音で、ある程度わかるかもしれない。だから、ほとんど気が抜けないのである。
視覚障害者の先輩からは、「和波さんは一人歩きをすべきではない」とよく言われる。「もし何かあったら、君一人の問題ではないんだよ。君の演奏を待っている多くの人を失望させるし、君を目標に頑張っている視覚障害者たちも裏切ることになるのだから」と。でも私は、自分でできることはやりたいし、通勤ぐらいは「連れて行ってもらう」というストレスから解放されたいとも思う。欧米では、多くの視覚障害者が一人で外出しているし、それができることで、彼らは独立した人間であるという自覚とプライドを持つことができるのだと言っていた。確かにそうだと思う。
日本でも、視覚障害者の外出は増えているし、社会もそれを受け入れる余裕と大きさを持ち始めている。それは、本当に有り難いことだ。もちろん、一人での通勤には数々の不便がある。だが、それを承知で私は名古屋の仕事を引き受けたのだ。時々、「なぜこれほどの思いをして遠くまで教えに行かねばならないのか」といらいらすることもあるが、家を出てから帰るまでの行程をすべて一人でやりおおせた快感は大きなものだった。明日もまた名古屋行きである。楽しく、快適な1日が過ごせるようにと願いつつ、私は学生の待つ長久手へ向かう。
和波たかよし
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