12月4日 今の思い
9月から、スポーツクラブで「ピラティス」というクラスに行っている。これは体幹を鍛えるための運動で、妻は1年以上前から通っていたのだが、インストラクターの指示を私に伝えるのが難しそうだというし、きつい運動は嫌いなので、私は行っていなかった。ところが、夏のある日、私を見かけたピラティスの先生が「一緒にやりませんか」と優しく声をかけてくれた。女性の先生に誘われたのでは行かねばなるまい、と嬉しくなって、9月から通い始めたのである。
運動は、一人ずつマットの上でやるので、どうするのかが理解できさえすればなんとかなる。インストラクターは、とても教え方が上手なのだが、視覚障害者にどう説明するか、といった経験はないので、時々わかりにくいこともある。でも、適当に見回って適切なアドバイスを与えてくれるし、隣のマットでは妻もやっているので、けっこう安心して体を動かしている。といっても、ちゃんとできているわけではないが、やった後は背中の辺りがすっきりし、たしかに効果が上がっている。10月までは忙しくて、時々しか行けなかったが、11月からは毎週土曜日の夕方のクラスに出かけている。25日はヘレンケラーコンクール(盲学生音楽コンクール)の審査でくたくたに疲れていたが、それでも美寧子と自由が丘で落ち合ってジムへ行った。数分間準備運動をしていると、先生が「こんばんは」と話し始める。すると、不思議に体内のスイッチが切り替わって、くたくただったことを忘れてしまう。それがクラスレッスンの良いところなのだろう。
この日は、まず片足で立ってバランスをとり、そのまま目をつぶるという実験をやった。見える人は、周りを見たり目の前の鏡を見たりすることで、バランスがとりやすくなるのだという。だから、目をつぶるとたちまち不安定になって、体が揺れ出すのだそうだ。美寧子は、「あなたはいつもこういう感じなのね。偉いわね」と今更のように感心していた。いやいや、私の状態と、目の見える人が急に目をつぶった状態とは違う。私は、目の代わりに、耳などの感覚を使ってバランスをとるすべを心得ている。しかし、やはり見える人に比べれば不安定だし、恐怖心も大きいだろう。「目を開けて下さい」と先生が言うと、あちこちからほっとしたような声が漏れた。私も同じ動作をしてみるが、目を開けても何も変わらない。「そうだ、俺は目が見えなかったんだ」と、改めて周りの人との違いを意識して、「よくまあ、見えないままで60年もやってきたな」と感心したりした。
一人でステージに立つ時も、見えなければそれだけ心細さが増すのかもしれない。ピアノやオーケストラと一緒なら、その音がより所になるから立ち位置が大きく変わってしまうことはないが、無伴奏の時は、夢中で弾いていてステージから落ちたらどうしようか、と怖くなっても当然だ。落ちないまでも、向きが変わってしまうことはある。ある私の弟子は、目をつぶってバッハを熱演していて、終わってみたら真後ろを向いていたという、嘘のような実話を持っているぐらいだ。
私がコンサート活動を始めて間もなく、母のアイディアで、ステージ上に1本の伝記コードを張った。これを手掛かり、いや足掛かりにすれば、立ち位置も変わらないし、夢中で弾いている時でも、今自分がどの方向を向いているかをしっかり把握できるようになって、私の不安は解消したのだった。
こうした母の計らいを初め、数知れぬ多くの人々のサポートがあったからこそ、私は今日まで生き続けることができたのだ。不安と同じぐらいたくさんの喜びを我が物として。
これからの私は、自分が受けてきた無限の愛や親切、理解、サポートへの感謝の日々を表しながら、残りの人生を歩まねばならない。などと書くとかなり気障になるが、この思いと自分の行動が一致した時、私は悔いのない人生が送れたと胸を張ることができるのだ。明日は、2週間ぶりの名古屋だ。日帰り旅行の途中で、また何人もの行きずりの人からサポートを受けることになるだろう。その一つ一つに感謝する心を忘れず、無事な1日を祈って出かけるとしよう。
和波たかよし
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