2月25日 さい先のよいホリデー
昨日のタカーチュ四重奏団は、本当に素晴らしかった。1975年に発足したグループだが、当時のメンバーはほとんど残っていない。浅学非才にして、私は知らなかったのだが、第1ヴァイオリン奏者でこのグループの創始者、タカーチュ氏もすでに演奏していない。タカーチュのいないタカーチュ四重奏団とは、驚きであった。
英語のプログラムには、個々のメンバーについては何も書かれていないが、とにかく4人とも素晴らしかった。それぞれが見事に演奏するのに加えて、精密なアンサンブルと人間的な温かみの両方が備わっているのだから、すごい。バルトークの1番では、印象派音楽のように繊細な響きが、次第に民族的な荒々しさへと変貌していく有様が見事だったし、ハイドンのト長調ではウィーン風の粋な味わいが心憎いほどであった。
ブラームスは、無駄のないすっきりした演奏で、もうちょっとこくのある音楽を期待する向きもあるだろうが、私は十分楽しめた。私の恩師でハンガリー人のヴェーグ先生が、「音楽で話をするように弾くことが大切」といつも強調しておられたが、そうした伝統が見事に息づく音楽だった。時に激しさも見せるが、決して音が荒くなったり汚くなったりしない。痩せぎすではないが、贅肉もない。4人のバランスも絶妙だし、特にハイドンで見せた即興性の楽しさは、ちょっと忘れがたいほど魅力的であった。
演奏だけでなく、この夜を忘れられないものにする出来事が、もう一つ起きた。私がイギリスで暮らしていた時に、特に永住許可の取得などで親身のサポートをしてくれた元イギリス盲人援護協会のディレクター、イアン・ブルース氏に、男子トイレの中で再会したのである。4年ぶりの再会だった。2004年の暮れに彼が職を辞してから、私は連絡方法を失い、音信がとぎれていたのだ。
終演後、私たちとブルース夫妻は、今ロンドンで大人気のイギリス風日本食屋、Wagamamaで夕食を取りながら、いろいろな話をして実に楽しかった。互いの近況を伝え合ったり、思い出話をしたり、共通の知り合いの今について教えてもらったり、それはそれは愉快で、夢のような一時だった。「今回のホリデーはさい先がいいぞ」と、私はホテルに戻ってもいささか興奮気味であった。
今日は、お知り合いの盛永牧師が主宰される日曜礼拝に参加し、祈りの心を新たにした。1980年代に、私はよくロンドンで、一人で近くの教会に出かけていた。牧師さんの英語の話はあまりわからなかったが、それでもできるだけ聴き取ろうと努力し、アマチュア聖歌隊の清らかな声にうっとりとなり、「将来に希望を持たせてください」と真剣に祈ったものだ。
だが、その後バッハの音楽を深く研究してキリスト教の信仰についてもある程度分かってきたと思うのだが、それでも私はクリスチャンにはなっていない。なぜか、私とキリスト教の間には、どうしても超えられない、とても薄い障壁があるような気がしてならない。盛永先生はとても素晴らしい方で、今回もお会いするのを楽しみにロンドンへ来たのだが、そのことが私の信仰心を強める、というところまでは行かないのである。神の存在は強く意識するのだが、私の信じる神は、世界中の民を救う本当の神であって欲しいのだ。そんなことは無理かもしれないが、「信じる者が救われて、信じない者が救われない」などと言うから、激しい争いが起こるのではなかろうか。本当の平和、本当の「地上の楽園」は、どうすればこの世に生まれるのだろう。そんなことはわからないまま、私は生涯を終えるのだろう。
だが、一つだけわかっていることがある。私にとっての宗教は、音楽なのだ。音楽のため、音楽の神のために全力を尽くす。それが私の仕事なのだ。今日の礼拝に参加して、改めてそのことを強く思った。音楽で人々の心を少しでも解放する。その願いを込めて、これからも演奏して行かなければと、心を新たにしている。
和波たかよし
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