2月27日 戦争体験を聞いて
今、私たちはスイスのトゥーンの町で、2日目の夜を迎えている。ここは、嘗てブラームスが避暑地として暮らしていた町であり、私が愛奏している「ソナタ第2番」もここで作られたことが知られている。
ここには私たちの長年の友人であり、私が若かった頃、コンサートの企画者、主催者、共演者として大きな支援をしてくれたクラウディウス・シャウフラーと夫人のヘルガが住んでおり、私たちは4年ぶりにこの地を訪れて彼らと再会したのである。
クラウディウスは83才、少し足が不自由になったようだが、夫婦そろって元気でいてくれ、私たちを大いに歓迎してくれた。ヘルガは昨日も今日も食事を作ってくれ、今日の午後はトゥーンの城や旧市街を散歩するのにも付き合ってくれた。そして、互いにつもる話に花を咲かせた。
今夜、私はクラウディウスの若い頃の話を聞きたいと望んだ。それは、そもそも彼を私に紹介してくださった、私の恩人の一人で全盲のピアニストだったアルトゥーロ・ミレージ先生と彼との関係について聞いてみたいと思ったからだったが、話は別の方向に発展し、彼の恐ろしい戦争体験を聞くことになった。その詳細をここで述べることは遠慮するが、まさに「生きて帰れたのが奇跡だと言えるほど、数々の恐ろしい経験をしたのだと言う。
中でも、私をはっとさせた話は、彼が大きな可能性を持ったピアニストであったにもかかわらず、ナチスの命令で18才の時に軍隊に取られ、4年ほどまったくピアノの練習ができなかったために、コンサート・ピアニストへの道が絶たれたという事実である。私は、何度も彼のオルガンやチェンバロと共演したが、音楽的なインスピレーションが豊富で、たくさんの面白いアイディアを持つ音楽家だった。ただ、どうしても技術的な障壁があって、十分に彼のアイディアが生かせなかったり、コンサートで不必要に緊張して演奏を傷つけてしまったりすることが少なくなかった。人間的には大きな信頼を寄せていたが、演奏家としてはあまり共演しやすいパートナーではなかったのだ。しかし、今日の話を聞いて、演奏家としてもっとも勉強しなければならない年代に、戦争のために何年ものブランクを持ってしまったことを知り、「それが彼の才能を壊したのだ」との確信を持ったのだった。
戦争は悲惨である。人間が自由に、その人らしい生き方をすることを許さず、自由を奪ってしまう。政治家は、自分の国と国民を守るために戦争をすると言うが、これほど国民を傷つける行為は他にない。どんな犠牲を払っても、平和こそ守らなければならないのだ。今、日本では北朝鮮に対して勇ましいことを言っている人が少なからずいるが、相手がどんなに理不尽なことをしても、それに乗せられて暴力を用いるようなことは、絶対にしてはならないのだ。平和的に相手を説得し、こちらの意を通す方法を模索することこそ、政治家に求められる大切な仕事なのだと、私は思っている。
それと、日本人が手にしている自由は、先人たちの言葉に尽くせないほどの犠牲のうえで手に入れたものである。私たちは、このことをもっとしっかり若い世代に伝えていかなければならないだろう。今夜の話を聞きながら、そう強く感じた。今日、クラウディウスの戦争体験を聞いたことは、私自身にも大変貴重な経験となったのである。
和波たかよし
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