3月20日 間もなく清里

 東京は、彼岸に入ったとは思えない寒さが続いている。2月が暖かくて3月が寒いとは、非常におかしな気象状態である。私はずっと風邪も引かずにやってきたが、今になって風邪、などということになっては大変、と気持ちを引き締めている。

 今は、23日の清里でのコンサートに備えて練習に身を入れているが、春休み中で帰省している生徒が多く、レッスンは比較的少ない。だから、練習に集中できるし、健康状態も良好だ。こう書くと、「レッスンがあると体の具合が悪くなるのか」と言われそうだが、勿論そんなことはない。ただ、レッスンはとても気を遣う仕事なので、自分の練習に比べればやはりストレスが大きい。4月に入って名古屋通いを再開すれば、また疲れが倍加するだろう。だが、疲れるぐらい働かなければだめだ。少しでも役立てることには全力で当たる、そのバイタリティーがなければいけない。今は、4月以降に向かって体内にエネルギーを蓄える時、と思っている。

 ところで、清里のコンサートは、私にとってとても重要な意味を持っている。実は、昨年の2月にベートーヴェンのソナタ全曲の録音を終えた後、美寧子と私は、今後のコンサート企画についていろいろ考えた。東京での自主公演は、クリスマス・バッハシリーズとアフタヌーンコンサートを定期的に開いており、美寧子も2年に一度はソロ・リサイタルを行う。しかし、これ以外に私はデュオ・リサイタルの企画を実施したいと強く願った。

 そこで、向こう5年間に10回のデュオ・リサイタルを行うという企画を立てて、どこか首都圏のホールの主催で、あるいはホールとの共催で開くことができないか、音楽事務所を通して打診してもらった。プログラムは、私たちが長年演奏してきたレパートリーの中から特に思い出の深い曲、演奏のし甲斐があると感じている曲を集め、時代を現代から次第に過去へ遡っていくという構想である。

 だが、企画自体が地味だと判断されたのか、今のところまだ芳しい反応が返ってこない。ホールの担当者たちも、時間をかけて将来の計画を練るだろうから、まだ諦めずにねばり強く働きかけなければならないと思っているが、清里のキープ協会の方々がこの企画に興味を持って下さり、「さっそく来年から始めましょう」と積極的に提案して下さったのである。何と嬉しいことか、と私たちは喜んでお受けした。去年の夏、清里清泉寮を訪ねて施設を見学させていただくと共に、キープ協会を作り上げた古、ポール・ラッシュ博士の理念などについてもお話を伺い、深く共鳴するところがあったので、私たちの演奏会をキープ協会の活動に少しでも役立てていただこうと、「チャリティーコンサート」として実施することにしたのである。

 清里はまだ寒いだろう。でも、金曜日の夜、そこに集う100人ほどの方々と共に、音楽の喜びをしみじみと味わうことのできる素晴らしい一時が過ごせると、私は信じている。そのために、今は毎日練習に励んでいるのだ。

 今回のタイトルは、巨匠ダヴィード・オイストラフへのオマージュ。彼の60才の誕生祝いとして書かれたショスタコーヴィチのソナタと、彼が作品の完成に大きな役割を果たしたと言われるプロコフィエフのソナタ第2番を中心に、ラフマニノフやチャイコフスキーなど、ロシア音楽を演奏する。オイストラフのヴァイオリンは、まさしく私の心の古里である。小学4年生の時に聴いた彼の生の音が、ヴァイオリニストとしての私をずっと支え続ける力になった、と言っても過言ではない。私が彼のヴァイオリンから受けた感動の一端をお客様と分け合えるように、心を込めて演奏しようと思っている。

 また、プロコフィエフのソナタは、私が土屋美寧子と一緒に演奏した最初のソナタである。あれは31年前の初夏だった。自宅に彼女を呼んで練習したのだが、それが二人の結婚に繋がっていくとは、当時は想像すらできなかった。だが、今思い出してみると、あの練習は私の心を彼女に大きく近づける力になったようだ。音楽が二人の心を近づけ、それが結婚に発展した。その意味でも、思い出の深い曲なのである。

 秋には、第1次世界大戦末期から10年間に書かれた作品を集めて、聴いていただく予定だ。ここでは、バルトークのソナタ第2番を、およそ10年ぶりに弾くことにしている。この清里でのシリーズは、私自身の音楽人生を振り返りつつ、今を見つめる大切な仕事になって行くだろう。その第1回は、ぜひとも成功させたいものである。

和波たかよし

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