5月4日 小学校時代のクラス会

 ライトハウスコンサートの感動が、どんどん遠ざかっていく。あれはもう、3週間近くも前の出来事になってしまった。響きの素晴らしい大阪のザ・シンフォニーホールで思い切り音を響かせ、体力が勝負のブラームスの協奏曲を、余力を持って弾き終わった時の満足感は、たとえようもなかった。そして、お客様の温かい拍手も心に残った。

 今、私はあまり演奏会のない日々が続いている。もちろん、夏以降にはまたコンサートがあるし、来年もいくつかの重要な仕事が決まっているが、今はちょっと谷間の時期のようだ。演奏することがなによりも好きで、ヴァイオリンによってこそ私自身を表現できると信じている人間にとって、本番の機会が少ないのは少し寂しいが、こうした時期を、心の張りを失わずに過ごすことが大切だと思っている。

 今は専ら、9月28日に清里で演奏するバルトークのソナタ、第2番の勉強に明け暮れている。12年ぶりに弾くのだが、かなり複雑な音楽なので、楽譜の見直しにも多くの時間を要している。他にも、夏に八ヶ岳で演奏する室内楽や、サイトウ・キネンで演奏する「幻想交響曲」のオケパートの暗譜、そして来年2月の「イザイ無伴奏ソナタ全曲」の勉強も、少しずつ進めていかなければならない。やるべきことは目白押しだ。

 だが、差し迫った本番がなければ、少しは心に余裕が持てる。そして、余裕のある時でなければできないこともある。

 一昨日は、名古屋で教えてから大阪まで足を伸ばし、小学校時代のクラス会に出席した。私が大阪市立盲学校に通ったのは、小学2年の1学期から3年の1学期までのわずか15ヶ月間であった。だが、その後も当時の同級生たちとは交流があり、20代前半までは時々会うこともあった。だが、その後は疎遠になっていた。

 ところが、2004年の秋、京都での演奏会の楽屋に、一人の同級生が訪ねてきてくれたのだ。私は、夢ではないかと思うほど感動し、その後もメールの交換を続けてきた。今年のお正月、彼と電話で話した時に、「クラス会がやれたら楽しいだろうね」と言ったら、彼が精力的に動いてくれ、今回の集まりが実現した。

 集まったのは、私を含めて6名。だが、クラス自体が10人ほどの小さなものなのだから、6人が集まればまずまずである。それに、私が小学2年に入学した時の担任の先生も顔を見せて下さった。89才だが、お元気で当時のことをとてもよく記憶しておられ、懐かしい話が弾んだ。3年生の時の担任の先生はとても個性的な良い先生だったが、惜しくも亡くなられてしまった。そこで、皆で「千の風になって」を歌い、その先生を偲んだ。

 私もそうだが、同級生たちは、皆さまざまな喜びや苦しみを経験しながら今まで生きてきたに相違ない。中には、妻を亡くした全盲の男性もいた。だが、皆とても明るく、そして優しかった。人の心の素朴な優しさをあれほど身近に感じたのは、久しぶりのような気がする。それは、強く生きてきたからこそ持てる優しさなのだ、と私は思った。来年も会えたら、そして今年は会えなかった数人にも出席してもらえたら、どんなに嬉しいことだろうか。

 帰宅してみると、今度は高校時代の同窓会から、6月2日の横浜開港記念日に花火を見るクルーズをやる、との案内が来ていた。これには妻も同伴で出席することにし、申し込んだ。本番が多くないこの時期に、もしかしたら私の人生の幅が少し広がるかもしれない。

和波たかよし

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