6月16日 ラジオが思い出させてくれたこと
昨日、何気なくNHKのラジオをかけたら、「死とどのように向き合うか」といった重いテーマで番組が放送されていた。コメンテーターの大学教授は、とてももの柔らかな口調で葬儀の大切さを話しておられ、強い共感を覚えた。
最近は、家族だけでひっそりと葬儀を行ったり、葬儀自体を行わない人も少なくないようだが、私も葬儀は極めて大切なイベントだと思っている。昨年、義理の伯父が亡くなったとき、通夜に出席するため大阪まではせ参じたが、「死者がここへ呼び寄せてくれたのだ」との深い感慨を覚えた。ゆかりの人たちが集って死者への思いを共有し、「安らかにお眠りください」と祈るのは、非常に重要なことである。それは勿論、死者にとってというよりは、残された者どもにとって重要なのだ。
私は、ある事実を思い出した。この日記ページを始めて間もない頃、コンクールを受けて最終審査まで残っていた生徒が、急に祖母が亡くなったためコンクールを辞退して、遠い町で行われた葬儀に行ってしまったのだ。私はその弟子にかなり期待をかけていただけに、「あれほど教えてやったのに裏切られた」という激しい痛みを感じ、「公私混同である」と日記ページに書いた。葬儀の大切さは十二分に理解しているつもりだが、それでもである。葬儀に出席しても、死者が帰ってくるわけではない。だとしたら、せっかく最終審査まで進んだコンクールを最後までやり抜くことが、演奏家を目指す者としては当然の態度であるはず」と、私は考えたのだ。
しかし、子供の両親は私の訴えを受け入れず、コンクールは放棄してしまった。たしかにコンクールなどよりは、その子供が可愛がってもらった祖母の葬儀に参列することの方が重要だったかもしれない、と思う。だが、私の立場で、あの時理解を示した方がよかったのだろうか。たぶん、その方が人間としては尊敬されるかもしれない。だが、私は今でも思う。私の立場でそれは無理だ、と。ヴァイオリニストであるよりも、人間であることが先だ、というのはよく分かる。だが、それでも私は、その弟子にヴァイオリニストとしての行き方を選んで欲しかったのだ。そして、教師としてはその選択しかないのではないか、と今も改めて思う。ただ、これは誤った考え方かもしれない。何気なく聴いたラジオが、私の古い記憶を呼び覚まし、あれこれと考えさせられてしまった。
和波たかよし
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