9月8日 なぜ私はここにいるのだろうか

 今、私は松本のホテルにいる。サイトウ・キネン・フェスティバルは、明日が最終日だ。私がここへ来てから7日目の夜が更けていく。日々松本で起きることをこのページでリポートしてみよう、というのが「日記ページ」を始めた動機だった。8年前のことである。

 当時は、松本滞在中にかなり書き込みをした。ところが、今はそれができなくなってしまった。年のせいだろうか?練習を終えて帰ってくると、もう疲れてしまってパソコンに向かう元気が出ない。それでも、仕事関係の連絡や生徒とのメールのやりとりはするのだが、それで精一杯。文章をまとめるといった作業をする気持ちにならないまま、夜になって寝てしまう。そんな毎日だった。

 今年私が参加したBプログラムのメインは、ベルリオーズの「幻想交響曲」だった。八ヶ岳が終わって、大急ぎで暗譜をし、松本に乗り込んできた。そして、なんとか本番をこなすことができた。初日のコンサートの後で、小澤さんから「こんな曲を弾いてしまうんだから、すごいね」と声をかけられた。もちろん、私の努力を認めていただけるのは有り難いのだが、すごいと言われることには抵抗感がないでもない。当の小澤さんは、私よりはるかにすごい人である。音楽的な知識も、私は彼に遠く及ばないし、私より優れた音楽家はこのオーケストラの中に何人もいる。それなのに、暗譜をするというだけの理由ですごいと言われるのは、心外なのである。

 もちろん、小澤さんはもう少し深い意味を込めて「すごい」と言って下さっているのだと、私は解釈している。だが、他のメンバーの前で「すごい」と声をかけられたりすると、周りの人たちに申し訳ないような気持ちになってくるのだ。

 今夜、出番を待ちながら考えていた。私がサイトウ・キネンのために努力するのは、何のためなのだろうかと。他のメンバーは、おそらく1ヶ月ぐらい前から準備を始めれば、十分に間に合うだろう。だが、私は4ヶ月ぐらい前から譜読みに取りかからなければならない。そして、点訳者は弓使いの書き込まれた楽譜が送られてくる前に、私のためにまっさらな楽譜を点訳してくれる。そのような協力や準備があって、私は初めてこのオーケストラに加わることができる。だが、実際には、私がいなくたってサイトウ・キネンは同じように演奏するし、何も変わらないのである。それなのに、多くの時間と労力を使って参加するのは何のためだろうか。

 一つは、自分の勉強のためだ。いろいろな作品を演奏することは、ソロの活動にも計り知れないほど役立つ養分になる。だが、それだけで良いのだろうか。私は、オーケストラのためにどんな貢献ができているのだろうか。それを思うと、少し暗い気持ちになる。自分のためだけに、私がここに参加しているのなら、他のメンバーには迷惑な話、ということになる。もしも、私がこうして弾いていることが他のメンバーに少しでも刺激になっているのなら、私としても少しはここに参加することの意味を見出せるのだが。

小澤さんとオーケストラの事務局は、毎年私に参加の依頼をしてくれる。ということは、少しは貢献ができているのだろうか。そう信じて頑張り続ければ良いのだろうか。

 斎藤先生は、天国でこの私をどんな風に見ておられるのだろう。天国に通じるインターネット電話があったら、斎藤先生と話してみたい。そんなことを、夜更けの部屋で考えている。

和波たかよし

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