12月1日 もう師走

 ロシアから帰って、早くも10日が過ぎた。日本の時計は、ロシアとは違うスピードで回っているのかと思うほど、毎日が飛ぶように過ぎていく。私は相変わらず演奏やレッスンに追われ、他にも学校の先生方を前に講演するなど、忙しく過ごしている。

 モスクワでは、短いホリデイを楽しもうと、少し張り切りすぎた。妻を道連れに、氷点下の寒さの中を歩いてクレムリンの近くまで行ったり、地下鉄を乗り継いで障害者の芸術学校を訪ねたり、今年オープンしたスカイラウンジでとびきり美味しい食事をしたり、あれこれと楽しい思いをしたが、寒さと疲れで風邪を引いてしまった。

 40年前、オイストラフ先生を訪ねてモスクワへ行った時、アシスタントとして何度も長時間のレッスンをして下さったヴィクトル・ピカイゼン氏と連絡が取れ、20日の夜にホテルでお会いする約束をしたのだが、その日になって「ひどい風を引いたので行かれなくなった」とメッセージが入った。電話してみると、ゴホン・ゴホンと苦しそうに咳き込んでおられ、「これではお会いしない方がいいな」と諦めたのだが、大変残念であった。

 さらに、21日の出発前にゆっくり昼を食べながらおしゃべりしようと約束していたカリストフまで、「今遠いところにいてモスクワに戻れそうもないんだ」と電話してくるものだから、私はがっかりを通り越して、半ば憤慨してしまった。「君とゆっくり話せると思って、はるばるロシアまで来たんだよ。でも、クルスクでは時間がなかったし、いつも大勢が一緒だったからなにも話せなかったじゃないか。今度いつ会えるのかわからないのに」と不満を表してしまった。

 翌朝早く、「なんとかして戻るから」と電話が入り、午後1時半に、彼はガイド役の女性とホテルに現れた。あまり美味しくないバイキングの昼食を取りながら、それでも2時間近くいろいろな話をすることができた。彼は私にとって、本音で話のできる数少ない友達の一人なのだ。旧ソ連からイタリアに亡命して苦しい生活を送ったあげく、妻子と共にどうやら安定した生活を得、今は祖国ロシアとの行き来を通じて、視覚障害者の交流などに力を尽くしている、素晴らしい男である。

 彼には私にない強かさ、我慢強さがある。クルスクでも、審査をしながら、私が困らないように英語で懸命に通訳してくれた。そして、「無理に来てもらったが、君がロシアへ来たことを後悔していなければいいけれど」と言うのだった。「後悔なんかしてないよ。君にも会いたかったし、ソ連以降のロシアを体験したかったから、自分で決心して出かけてきたのだからね」と私は応えた。国際コンクールと言っても、ほとんどの参加者はロシア人で、結局はクルスクの盲学校をアピールする道具となっているような感じがしないでもなかったが、カリストフは「たとえば君が演奏したり、英語やドイツ語で語りかけてくれるだけで、あそこの生徒には大変な刺激になるんだ」とあくまでもプラス思考だ。日本にも、音楽を志す視覚障害者は少なくないので、同じ志を持つロシアの仲間との交流に、私も一役買えれば幸せだと思っている。

 帰国後すぐに、「ヘレンケラー記念音楽コンクール」の審査員の仕事をした。私は3年連続の審査だったが、お二人の新しい審査員をお迎えしたことで、コンクールに新鮮な風が起こった気がした。これまでは、審査員の評価がかなり厳しかったのだが、今年は「良いところを積極的に認めよう」という空気になった。それが良いことかどうかは、もう少し長い目で見る必要があるだろうが、声楽家の審査員が、終了後に声の出し方を指導して下さったり、私のところへもこれまでになく多くの参加者が講評を聴きに来たり、なかなか良い雰囲気だった。このコンクールとロシアのコンクールの間で何かの交流ができたら面白いだろう、と私は未来へ夢を膨らませていた。

和波たかよし

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