1月23日 近づくイザイのコンサート
名古屋の発表会も無事に終わった。今回は、去年より少しお客様が増えたし、演奏も充実度が深まったと感じた。皆のこの1年の努力が演奏にこもっていて、さまざまな感慨と共に聴かせてもらった。
音大の学生といっても、実技の勉強ばかりできるわけではなく、特に教職課程を取っていたりすれば、授業内容も多いからなかなか忙しい。東京の学生は、授業時間以外に自宅に呼んでレッスンすることもたやすいが、名古屋ではそうも行かず、私が指導する時間も短くなる。そうした環境の下でも、皆それぞれに自覚を持って頑張ってくれている。今年度も、病気などによる欠席は一人もなく、全員がこれまでに23回の私のレッスンを受けた。こうして、名古屋通いも3年目を終えるわけだが、4月からはまた新たな気持ちで私も頑張ろうと思っている。
暮れに健康診断を受けたが、血液や尿の検査はすべて合格、数値はかなり良いと、ドクターからお褒めの言葉を賜った。疲れるなどとは言っていられないだろう。私のアドバイスを必要とする人がいる限り、その人のために働かなくてはならない。そして、働くためには、自分自身がしっかりと研鑽を重ねて行かなくてはならない。
今度の週末は、静岡県の福田でイザイ全曲を演奏する。私にとっては、1990年の7月に佐賀で弾いて以来の全曲演奏である。お客様からどんな反応が返ってくるのか、楽しみだ。
6曲の無伴奏ソナタは、それぞれ異なった雰囲気を持っているが、彼が最も気合いを入れて作ったと思われるのが、ヨーゼフ・シゲティに捧げた第1番である。彼は、シゲティの弾くバッハの無伴奏曲を聴いて強い霊感を受け、「自分も6曲の無伴奏ソナタを作ろう」と決意し、すぐ創作に取りかかった。その時聴いたのは、おそらくバッハのト短調ソナタであっただろうと、私は考えている。バッハの1番と、イザイの1番には共通点が余りにも多い。同じト短調で、同じ4楽章形式で、2楽章にはフーガ(イザイはフガートと名付けているが)があり、3楽章では変ロ長調に転じる。これだけ多くの共通点があれば、当然バッハの1番を意識して作曲しただろうと想像したくなる。
第1楽章は、スローテンポの「グラーヴェ」で、重厚な和音と、それを繋ぐ飾りのような音形でできている点は、バッハの第1楽章とこれまた類似しているが、音楽の肌触りはかなり違っている。和音を中心とした力強い部分と、どこか神秘的な単旋律の動き、さらに、半音を含まない6個の音からなる「全音音階」が不思議な雰囲気を導き出す。この全音音階は、2楽章、4楽章にも現れて、全曲に統一感を与えている。曲の終わりには、最初の4小節が戻った後、長いトレモロが奏される。ポンティチェロ(駒の近くで)と指示されたこのトレモロは、普通のヴァイオリンの音とはひと味違う、金属的なやや奇妙な音になる。演奏するのも難しく、うっかり力が入ってしまうと、終わり頃に右腕が痛くなったり、トレモロのスピードが落ちてしまったりする。筋肉鍛錬の大切さをいつも痛感させられる部分だ。
第2楽章は、短いテーマを幾重にも重ねながら続くフーガ。全体は六つほどの部分からできていると考えられ、次第に曲が複雑な転回を見せる。ヴァイオリンの作り出す重音のさまざまな響きと、音域をいっぱいに使った華やかな技巧をアピールする楽章だ。
ここまででかなり高まった緊張感が、第3楽章で癒される。間奏曲風の軽やかな楽章で、ここにも重音が多用されているから演奏はたやすくないのだが、それを感じさせずに温かな優しさを表現しなければならない。最後の短い第4楽章は、活気を持った舞曲風のフィナーレで、難技巧がこれでもか、これでもかと繰り出されてくる。以前のレコーディングでも、もっとも苦労した曲の一つだった。ここでも、難しさを印象付けず、華やかに、豪快に弾くことが求められている。
昨日もこの曲を練習したが、ロンドンやベルリンのデビューで弾いたり、これを献呈されたシゲティ先生の前でも演奏した思い出が、今も懐かしくよみがえる。コンサートの冒頭に置かれるこの曲で、まずはイザイの魅力を十分にお伝えしなければならないと思っている。
和波たかよし
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