2月5日 相次ぐ悲しい知らせ
またまた、ずいぶん長い間この日記をサボってしまった。時々アクセスして下さっている方には、その都度失望感を味わわせてしまったかもしれない。これを始めた頃は、数日更新が止まると「どうしたのですか」などとメールが来たりしていたが、今はそんなこともなくなった。皆さんが、私の怠けぶりを知って下さったということかもしれない。
それでも、更新した直後に「読みましたよ」と言われることもあり、「ああ、よく見て下さっているんだ」と申し訳ない気持ちになったりもする。幸い、私は元気で、毎日忙しく過ごしている。ただ、幸せいっぱいというわけではない。このところ、親戚や仲間、恩師などの訃報が相次いでいるのだ。
江藤俊哉先生が亡くなられたとの知らせが入ったのは、1月22日のことだった。私にとって余りにも大切な恩師の死をどう受け止めたらよいか、いまだに心の整理が付いていない。そこへ、26日には叔父(母の弟)が亡くなり、その告別式から帰った夕方には、コントラバス奏者、都筑道子さんの訃報が、お父様からもたらされた。44才の、余りにも若すぎる死であった。長年難病と闘っていたとのことだが、全く知らなかった。
2年半ほど前、八ヶ岳のサマーコンサートで「鱒」を共演したのだが、その時も彼女は、病をおして懸命に体調を整え、練習や演奏会に臨んでくれたのだという。1991年に私の弦楽オーケストラを結成した時に、そこに加わってくれて以来のお付き合いだったが、いろいろな楽しい思い出を残してくれた。それにしても、ご本人はさぞ無念だっただろう。私も、もう共演できないことが信じられない思いだ。
さらに、都筑さんの告別式から帰った夜には、高校時代の恩師の訃報にも接しなければならなかった。声楽家で、筑波大学附属盲学校の校長も勤められた林祐次先生である。高校時代は、ソルフェージュや声楽を教えて下さっただけでなく、私の将来を心配していろいろ親身になってアドバイスして下さった。最近もよくコンサートを聴いて下さり、去年の秋の「アフタヌーンコンサート」にも来ていただいた。同窓生が集まって、80才のお祝いをしてから、まだ1年しか経っていないというのに、突然のお知らせは驚きだったし、またも深い悲しみに打たれた。
それにしても、なぜこんなに次々と大切な人が亡くなってゆくのだろう。もちろん、お付き合いが多いのだからそういうことがあっても不思議ではないのかもしれない。だがやはり、私はこの事実に戸惑っている。当分は、この戸惑いが続くだろう。月並みな言葉だが、亡くなられた方々のご冥福を心静かにお祈りするしかできない今の私である。
今日は、ようやくイザイの全曲リサイタルのプログラム原稿を書き上げた。せっかく生誕 150年記念の演奏会を開くのだから、イザイの生涯についてもふれようと考え、インターネットなどでいろいろと資料を集めて、いつもより長いプログラム・ノートを書いた。駄作ではあるが、私のイザイへの厚い思いだけはお伝えしたいと思って綴った。その原稿が書けたから、これからは演奏でもイザイへの思いをお伝えできるよう、練習にスパートをかけることにする。
和波たかよし
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