4月17日 チャリコン
私には、思ったことをすぐ口に出してしまうという悪癖があるようだ。それでかなり損をしているし、人の心も傷つけてしまっているらしいのだ。自分でそれがわかった時は反省し、悔い改めようと決意するのだが、どうも同じ失敗を繰り返しているような気がする。もし、自分で気付かずに他人を傷つけてしまっているとすれば、大きな問題だし、罪だと思う。
昨日も、それらしきことをやってしまった。今は4月20日の「ライトハウス・チャリティコンサート」が迫っており、主催者やオーケストラの担当者から、よく連絡のメールが入る。その中で、主催者からのメールの件名に「チャリコン:」と前置されているのだ。ライトハウスは視覚障害者のための福祉施設であり、事務の人たちはさまざまな事柄に関わらなければならないから、メールの種類を判別するためにこれを付けているのだろう。
だが、私にはこの略称がどうも引っかかった。音声パソコンで「チャリコン」と発声すると、なんだかとても軽々しくて、お笑いイベントか何かのような気がしてくる。それでも我慢していたのだが、昨日、その担当者と電話で話す用事があったので、ついつい「チャリコンという件名は辞めてくれないかな」と言ってしまった。当然だが、相手からはきょとんとした反応が返ってきた。おそらく、何とつまらないことにこだわる心の小さい人だろう、と思ったのではなかろうか。大阪では、何事も省略形を使うことが多い。それは、伝統的に商業の町で、言葉は短く、能率的に話すようにする習慣が身に付いているため、と聞いたことがある。それと、大阪言葉は、全体に軽い印象がある。相手をののしるのに「馬鹿」と言えば強い響きだが、「あほ」と言えばどことなくほほえましくなる。
そういう意味から、チャリコンという略称もごく自然に生まれたのに違いない。しかし、大げさに言えば、人生をかける気持ちで取り組んでいる私にとって、チャリコンという言葉の響きは、どうにも我慢ができなかったのだ。
だが、それは私の個人的な問題だし、好みである。何も、他人にそのことで文句を言う必要などなかったのだ。だが、言ってしまったことは取り消せない。相手との間に余計な摩擦を作ってしまったかもしれない自分の行為に、半ばあきれている。
その「ライトハウス・チャリティコンサート」だが、明日の夜と明後日の午後から、最後のリハーサルがある。アマチュアのオーケストラは、出演するメンバーが練習にそろって顔を合わせることが、なかなか難しい。それだけに、最後の練習は重要な意味を持つ。私も、プロのオーケストラと合わせる時とは違って、オーケストラにも助言したり、時には指導に近いことをしなければならない場合もあるから、練習は結構疲れる。もちろん、それだけに楽しみも多いし、2年連続となる澤和樹さんとの協演にも胸が弾む。あまり疲れすぎないように気を付け、集中力を持って、楽しく本番を務めたいと思っている。
和波たかよし
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